【John Coltrane】

ジョン・コルトレーン(John Coltrane、1926年9月23日 - 1967年7月17日)は、アメリカノースカロライナ州生まれのモダンジャズのサックス奏者。

テナーサックスをメインとする。活動最初期はアルトサックス、1960年代よりソプラノサックス、最晩年にはフルートの演奏も残した。
活動時期は、1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、さらにフリー・ジャズの時代と、それぞれの時代に大きな足跡「ジャイアントステップ」を残した。
ソニー・ロリンズ(テナーサックス)と並ぶジャズ・サックスの重要人物。モダンジャズのテナーサックス演奏では、コルトレーンの影響下に無いものがいないという状況が長く続いている。







【Charle Parker】


チャーリー・パーカー(Charles Parker Jr, 、1920年8月29日 - 1955年3月12日)は、ジャズのアルトサックス奏者。絶対音感の持ち主でもある。

1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルの創成に、ディジー・ガレスピーと共に携わった。
これにより「モダン・ジャズ(ビ・バップ)の父」とも言われる。
初期の頃よりヤードバード(Yardbird)(起源は諸説あり)と呼ばれており、後に単にヤード、或いは、バードとも呼ばれ、特に後者が親しまれた。
パーカー自身も"Yardbird Suite"や"Bird Feathers"といったタイトルを発表している。
ニューヨークにあるバードランドはこの名称に由来し、ジョージ・シアリングの"Lullaby of Birdland"(バードランドの子守唄)やウェザー・リポートの"Birdland"といった曲もある。






【Cannonball Adderley】



キャノンボール・アダレイ(Julian Edwin "Cannonball" Adderley 1928年9月15日-1975年8月8日)はフロリダ州タンパ生まれのジャズアルト・サックス奏者。
マイルス・デイヴィスのグループで活躍し、ソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズの立役者の一人としても知られる。
あだ名の『キャノンボール』の由来は、キャンニバル(cannibal:大食漢)に由来する。言葉が慣用化してこのように変化したという。
弟にコルネット奏者のナット・アダレイがいる。









【Sonny Rollins】



ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins、1930年9月7日 - )は、アメリカ合衆国のジャズ・サックス奏者。

本名セオドア・ウォルター・ロリンズ(Theodore Walter Rollins)。ハード・バップの代表的奏者であり、ジョン・コルトレーンと並ぶジャズ・サックスの巨人と讃えられる。
歌心溢れるアドリブや、聞く者をリラックスさせる演奏は、長年にわたり変わることがなく、それが今も多くのファンに支持されている。





【Super Sax】



1972年11月、ジャック・ニミッツ、ジョー・ロープス、ウォーン・マーシュ、ジェイ・ミグリオリ、ロンネル・ブライト、ジェイク・ハナ、コンテ・カンドリによって結成。
チャーリー・パーカーのソロを5本のサックス(Asax-2,Tsax-2,Bsax)とリズムセクションとTbまたはTpでハーモナイズするというアイディアを受けて結成。
正式デビューに至るまで、パーカーの 16作品のアレンジを1年間かけてリハーサルし、満を持してのデビュー。
1974年にBest Jazz Performance部門でグラミー賞を受賞。
その後、メンバー交代などがあり、数年で解散の噂も流れるが、82年以降再デビューした。














【Erick Dolphy】



Eric Allan Dolphy(1928―64)
アメリカのジャズ・アルトサックス、バスクラリネット、フルートの奏者。ロサンゼルスに生まれ、ドイツのベルリンで死亡した。
小学生だった1937年からクラリネットを学び、やがて数種の楽器も習得した。40年代後半にいくつかの楽団に参加し、50年から2年間は陸軍のバンドで演奏した。
その後ジェラルド・ウィルソン楽団、バディ・コレット楽団を経て58年にチコ・ハミルトン五重奏団の一員となって、広く注目された。 60年3月にチャールズ・ミンガスのグループに加入した。
このころオーネット・コールマンと知り合い、彼のアルバム『フリー・ジャズ』で共演した。
61年に自身のグループでニューヨークの「ファイブ・スポット」に出演し、その実況録音アルバムは歴史的名盤となった。
彼は主流モダン・ジャズからフリー・ジャズまで幅広く活躍し、異色のサウンドとフレージングで知られ、いまもって名声を得ている。







【Gerry Mulligan】



ジェリー・マリガン(Gerry Mulligan、本名Gerald Joseph Mulligan、1927年4月6日 - 1996年1月20日)はアメリカのジャズ・ミュージシャン、作曲家、編曲家。
ジャズ界では少数派のバリトンサックス奏者であり、優れたジャズプレイヤーかつ作編曲者として知られる。
1940年代後半からフィラデルフィアで活動を開始、ギル・エヴァンスとの出会いをきっかけにクロード・ソーンヒルのビッグバンドなどのためにアレンジを本格的に手がけるようになり、二十歳そこそこの若さにして、
洗練されたモダンなアレンジで、ソフトなダンスバンドであったソーンヒル楽団のスタイル革新に貢献した。
1980年代に入るとフュージョン色の強い音楽性を指向するようになり、「リトル・ビッグホーン (Little Big Horn) 」などのフュージョンアルバムを発表するようになる。この頃に世界ツアーも行っている。
1996年1月20日、膝の外傷が元でコネチカット州ダリエンにて死去。68歳。




【Jackie McLean】



ジャッキーの父はギタリストで、ブルース・ミュージシャンのタイニー・ブラッドショウのバックも務めた。
ハイスクール時代には既に、アルト・サックスの腕前は上達しており、ケニー・ドリューやソニー・ロリンと共演。1951年10月、ソニー・ロリンズやアート・ブレイキーと共に、マイルス・デイヴィスのアルバム『ディグ』の録音に参加。その後も何度かマイルスと共演。
1959年、バンド・リーダーとしてブルーノートと契約。同年にはウォルター・ビショップやジミー・ギャリソン等を従えた『スイング・スワング・スインギン』発表。また、1960年にはマル・ウォルドロンのアルバム『レフト・アローン』に参加し、
ジャッキーにとって重要なレパートリーとなる「レフト・アローン」を録音。
この曲は、マル・ウォルドロンとビリー・ホリデイの共作だが、ビリーが亡くなったため、ジャッキーが参加したヴァージョンが初録音となった。
1963年には、まだ17歳だったトニー・ウィリアムスを従えたアルバム『ワン・ステップ・ビヨンド』発表。
同作のレコーディングから間もなく、トニーはマイルス・デイヴィスにも認められ、マイルスのクインテットに加入した。
1968年にはコネチカット州で教職に就き、音楽活動を休止するが、1970年代前半にスティープル・チェイスと契約して活動再開。1986年、1987年、1996年の3回マウント・フジ・ジャズ・フェスティバルに参加。
2006年3月31日、コネチカット州で亡くなる。