【David Sanborn】



デイヴィッド・サンボーン (David Sanborn、1945年7月30日-) はジャズ・フュージョン界で活躍するサックス白人奏者であり、彼の活躍はスムーズ・ジャズへの影響も深い。
ユニークで渋みのあるファンキーなプレイが特徴。歌うように奏でるその音色は「泣きのサンボーン」とも呼ばれる。
1945年7月30日、フロリダ州タンパで生まれ、子供の頃セントルイスに移る。幼少より小児麻痺にかかり、医師の勧めでリハビリを兼ねてサックスをやり始めた。
ブルースやジャズに影響され才覚を育てたサンボーンは、10代半ばにはアルバート・キングとも競演した。
様々なミュージシャンとセッションをこなし、1975年、ワーナー・ブラザーズと契約し、『Taking Off』でデビューした。
1978年、ピアニスト深町純が中心となり、マイク・マイニエリ、ブレッカー・ブラザーズ、スティーヴ・ガッド、リチャード・ティー等が参加した「ニューヨーク・オールスターズ」にも参加した。
1983年、ローリング・ストーンズの『アンダーカバー』収録曲「プリティ・ビート・アップ」にゲスト参加。
1991年にエレクトラに移籍、1996年にはNHKの連続テレビ小説「ひまわり」の主題歌、山下達郎の「Dreaming Girl」を演奏したこともある。
2003年にヴァーヴ・レコードに、2008年にデッカ・レコード(US)に移籍する。

【MALTA】



MALTA(マルタ、1949年9月19日-)は、 鳥取県倉吉市出身のサックス奏者。本名:丸田 良昭(まるた よしあき) 13歳からサックスを吹き始め、1964年に佐々木道也、山本力、1966年より阪口新に師事。鳥取県立倉吉東高等学校を経て1973年東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。
同年、バークリー音楽大学に留学し、1976年卒業。同校の講師を務める。
ライオネル・ハンプトン楽団のコンサートマスター(1979年〜)を経て、1983年にJVC(現・ビクターエンタテインメント)と契約、アルバム「MALTA」で日本デビュー。
1987年にはアルバム「SPARKLING」で第一回日本ゴールドディスク大賞を受賞。
1996年には京都芸術大学・京都芸術短期大学の客員教授、東京コンセルヴァトアール尚美の特別講師も務めているほか、2007年には大阪芸術大学の客員教授にも就任している。
1〜2年に1作のペースでオリジナルアルバムを発表しているほか、近年では吹奏楽とのジョイントも多い。
トークにも定評があり、テレビ番組への出演も数多く、邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ、1989-1992)では番組内で誕生したユニット「やまだかつてないWink」のシングル『“T”intersection』の作曲にも携わっている。
ヤングスタジオ101のMCをしていた頃には、時折見せるサラッとした毒舌が売り。髪を立てていた当時のBUCK-TICKが出演した際には「所詮、カッコイイと思っているうちが花」と揶揄し、彼らのインタビューでは度々嫌悪する言葉が出てくる。
また、アイドルに対しても好き嫌いが激しい言葉が多くみられた。

【Brecker Brothers】



ザ・ブレッカー・ブラザーズ(The Brecker Brothers)はランディ・ブレッカーとマイケル・ブレッカーによるクロスオーバー/ジャズ・フュージョン・バンド。グラミー賞受賞の経歴を持つ。
兄弟そろってセッション・ミュージシャンとしても活動していた時期もあり、フュージョンシーン以外では、エアロスミスのGet Your Wings、パーラメントのMothership Connection、フランク・ザッパのZappa In New York、日本国内ではSMAP、今田勝のアルバムにも参加。
1975年にアリスタ・レコードでセルフ・タイトルでデビュー。1978年にはライヴ・アルバム、Heavy Metal Be-Bopを出し、ヒット。"Some Skunk Funk"が彼等の代表曲となる。この曲はバンドが解散して以後も互いにライヴで演奏されている。
1982年に活動を停止し、それぞれソロ活動し始める。1990年代初期に再結成し、GRPレコードより、Return of the Brecker Brothers(1992)、Out of the Loop(1994)を発表。その後また活動を停止する。
2005年にマイケルは骨髄異型性症候群を患っていることを明らかにし、ライヴ等活動を一時停止するが、同年にランディのアルバムにマイケルを迎える形で、Some Skunk Funkを発表、タイトル曲他がビッグ・バンドのアレンジで演奏されている。
2007年にマイケルが白血病で死去、実質的にこのバンドは永年停止となる。