【Count Basie Ochestra】

   20世紀において、デューク・エリントン楽団とともにビッグ・バンド・ジャズの王座に君臨してきたカウント・ベイシー楽団の中心人物。
1904年、ニュージャージー生まれ。35年に自らの楽団を旗揚げ、翌年にはナショナル・ツアーを敢行。
37年のデッカ・レーベルで録音された名演の数々は、たちまちベイシー楽団の名を国際的なものにした。
また、この楽団の演奏スタイルは、「最も経済的」と評されていた。
それは、シンプルだが絶妙なタイミングをもって繰り出されるベイシー自身のピアノを中心に構成され、カンザス・シティ・ジャズ伝統のスウィンギーなリフを繰り返すナンバーだけにとどまらず、
ヒット曲やオリジナルもレパートリーに加えるというものだった。さらに、オール・アメリカン・リズム・セクションと称されたリズム隊に乗って、バック・クレイトン(ts)、ハリー・エディソン(tp)、レスター・ヤング(ts)がソロを取り、ジミー・ラッシング、へレン・ヒュームズが歌う。
――素晴らしいスター・ソリストを擁して、名実ともにバンドの黄金時代を築き上げたのだ。40年代末には一時バンドを解散するが、51年に再編成。若手のアレンジャーを起用し、以前にも増して大きな名声を獲得した。60年代以降はポップなナンバーも取り上げリラックスした演奏を展開するが、70年代になるとルーツに立ち返りビッグ・バンドで強力なスウィングを繰り広げた。








【Glenn Miller】

 ベニー・グッドマンと共に“スウィングの王様”と称されたグレン・ミラーは、日本で最もポピュラーな白人ビッグ・バンド・リーダーだろう。紳士的かつノーブルな顔立ちの持ち主で、トロンボーンを優雅に吹きこなし、30年代初頭〜40年代前半のジャズ・シーンを席捲した。優れた作編曲家でもあり、代表曲の「イン・ザ・ムード」や「ムーン・ライト・セレナーデ」などは何処かで耳にしているはず。
聴けば、「あぁ、コレねー」と頷くこと間違いナシだ。
 黒人のジャズから“歴史の重み”といった部分を排除し、底抜けに明るいポップな曲調を信条に、白人らしい洗練されたスウィングを聴かせてくれる。
太平洋戦争の勃発で一時バンド活動を休止するが、42年アイゼンハワーに認められ、グレン・ミラー・アーミー・エアー・フォース・バンドとして再開。
従軍慰安のために世界中を廻って演奏し、1年弱で800以上のステージを重ねる。――しかし44年、パリへ向かう飛行機に乗ったまま、還らぬ人となってしまった。
彼の意思を引継いでバンドは存続しつづけ、現在でもワールドワイドな活躍をしている(日本にも年に一度のペースで訪れているのだ)。






【Duke Ellington】



エドワード・ケネディ・デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington , 1899年4月29日 - 1974年5月24日)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身のジャズのピアノ奏者、オーケストラリーダー。
1899年ワシントンD.C.で生まれる。父親は、著名な白人医師ミドルトン・カスバートの執事であり時々ホワイトハウスへの仕出し業も行っていた。
小学生の頃からピアノを習い始め、ハイスクールでは校内のパーティでピアニストとして活躍していた。
同時期に音楽教師から高度な作曲理論を学び(「私の音楽に対する勉強は、GフラットとFシャープの違いを学んだことからはじまった」という言葉は有名)、1916年にピアニストとしてデビューした。
その後ニューヨークに進出し、1927年にニューヨーク市マンハッタン区ハーレムにある高級クラブ「コットン・クラブ」とバンド契約した。
1930年代から第二次世界大戦後にかけて「A列車で行こう」(作曲はビリー・ストレイホーン)など、音楽史に残る様々な名曲を世に出した。
エリントンが亡くなった現在でも彼が立ち上げたオーケストラは存続しており、2008年にも日本公演をしている。






【Benny Goodman】



ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 本名:ベンジャミン・デイヴィッド・グッドマン(Benjamin David Goodman)、1909年5月30日 - 1986年6月13日)は、クラリネット奏者、バンドリーダー。
スウィング・ジャズの代表的存在として知られる。
縫製職人の家の九男として、シカゴに生まれる。貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭に育ち、教育は「ハル・ハウス」という福祉施設で受けている。無料で音楽が学べる地元の音楽教室にて、10歳の頃からシカゴ音楽大学の元教師・フランツシェップ氏の下でクラリネットを習得。
11歳のときにデビューする。
1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベック(Bix Beiderbecke)と共演し、1925年にベン・ポラック楽団(the Ben Pollack Orchestra)に参加。
1928年には本拠地をニューヨークへ移し、翌1929年には楽団から離れてソロ活動を始める。
1932年には自ら楽団を結成し、NBCラジオに定期的に出演。
1935年のロサンゼルスの有名なダンスホールであるパロマーボールルーム(Palomar Ballroom)での大成功をきっかけに全米にわたる人気を獲得し、1938年にはカーネギー・ホールで最初のジャズコンサートを行うまでに至りスウィングの王様(King of Swing)の名声をほしいままにする。
またグッドマンは人種差別が激しかった当時、テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトンをはじめとする黒人ミュージシャンを積極的に雇った最初の人物として賞賛されることも多い。
ビッグ・バンドのベニー・グッドマン楽団を率いた他、トリオ、カルテット、セクステットといった小編成でも演奏活動を行った。
さらにはクラシック音楽も手がけ、モーツァルトの『クラリネット協奏曲』などのレコードを出している。また、当時の現代作曲家バルトークとも親交があり、『ヴァイオリンとクラリネットとピアノのためのコントラスツ』の献呈を受けており、作曲者及び同時に献呈を受けたヴァイオリニストのシゲティとの共演録音が残されている。
同時代の作曲家では他にコープランドがクラリネット協奏曲を作曲している。
1955年には前半生を描いた映画『ベニイ・グッドマン物語』が公開された。主演は、グッドマンのそっくりさんとして知られたテレビ司会者スティーヴ・アレン。
ジーン・クルーパ、ハリー・ジェイムス、ライオネル・ハンプトン等有名ミュージシャンたちが共演。
サウンドトラックはベニー・グッドマン楽団が制作してデッカ・レコードから発売されたが、グッドマンはこの時の演奏に不満を持ち、キャピトル・レコードから全く同じ選曲のアルバム『ベニー・グッドマン物語』を発表。
1958年、1964年、1980年に来日公演を行っている。
代表曲に、力強いドラムから始まる『シング・シング・シング』(Sing Sing Sing )が挙げられる。





【Manhattan Jazz Orchestra】



ジャズ界のスーパー・グループとして20年以上も活躍している「マンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)」のリーダー。デビッド・マシューズと彼と共にMJQを作り上げてきたプロデューサー川島重行が、ジャズ・コンボでは表現しきれないアンサンブルの醍醐味を追求しようと、NYの超一流ミュージシャンを集めて結成したのが、夢のスーパー・ビッグバンド「マンハッタン・ジャズ・オーケストラ」。
このオーケストラの編成は、オーソドックスなビッグバンドの編成とは異なり、4トランペット、4トロンボーン、2サックス、2フレンチ・ホルン、バス・クラリネット、チューバ、ピアノ、ベース、ドラムスから成り、ギル・エヴァンス・オーケストラに似ている。しかしマシューズの斬新でポップ性があるアレンジにより、まさにコンテンポラリーなサウンドを生み出している。
1989年のデビューアルバム 『モーニン』 がビッグバンド・アルバムとしては異例の大ヒットを飛ばし、『モリタート』 『危険な関係のブルース』 『チュニジアの夜』と続けて発表し たアルバムも軒並みヒットを重ねる。
1995年にリリースした 『黒い炎』 は、ブラスロックの名曲(チェイス、ブラッド・スウェット&ティアーズ、シカゴ等)を取り上げた異色作としてスイングジャーナル誌のゴールドディスクに選ばれ、1995年度日本ジャズ・ディスク大賞の制作企画賞を受賞。
1996年リリースの 『黒くぬれ』 ではローリング・ストーンズの往年の名曲を、そして1997年の 『ブラック・マジック・ウーマン』ではタイトル曲にもなったサンタナ・ナンバーの初ビッグバンド化や、マイルス・デイビスの「死刑台のエレベーター」などを取り上げ、大きな話題となった。
1999年には、デューク・エリントンの生誕100周年を記念した『ヘイ!デューク』を、そして2000年に『バッハ2000』をリリース。バロック音楽の大家バッハを世界で初めてビッグバンドにアレンジし、大きく注目を集め、2000年日本ジャズ・ディスク大賞の制作企画賞を受賞。
2002年にマシューズのプロ音楽生活40周年記念として、大作『サム・スカンク・ファンク』を発表。ブレッカー・ブラザーズのヒット曲をマシューズ独特のファンク魂あふれるエキサイティングなアレンジで、ビッグバンド・サウンドに生まれ変わらせた。2002年度スイング・ジャーナル誌ゴールドディスク大賞を受賞。
2004年にはライブ演奏で最も人気の高かった「シング・シング・シング」と、またこれも観客のリクエストの多い『テイク・ファイブ』の再アレンジナンバー、そしてジャコ・パストリアスの名作3曲をあわせて収録した、結成15周年記念盤『バードランド』を発表し、2004年度日本ジャズ・ディスク大賞の制作企画賞を受賞。
2006年5月にはスウィング・ジャズを意識したマシューズオリジナル曲、『スウィング・スウィング・スウング』がタイトルとなったアルバムを発売。
2007年バーズレコード移籍。グレン・ミラーの時代を越えたビッグバンド・サウンドが、見事なまでに新しく生まれ変わった『IN THE MOOD』がスイングジャーナル誌ゴールドディスクに選定。そして今年来日記念アルバム『スペイン』リリースし、待望の来日ツアーを迎える。
日本で活躍するNYのビッグバンドとして唯一無二の存在であるMJOは、日本にとって重要なビッグバンドであるとともに、日本全国で展開しているコンサートツアーでの、ハイクオリティなライブ・パフォーマンスも人気のひとつである。これからも日本のファンを魅了し続けるビッグバンドである。